
本木雅弘の運命の人は当時の沖縄の出来事思い出します。
2012年02月11日
このあいだ沖縄海洋博覧会の時頂いたアクセサリーを公開しましたが、1970年代の沖縄は本土復帰や、貨幣の交換、右側道路から左側道路に変わり、変動の多かった時期でした。私個人においても変化が大きかった時期でしたので、中年になった今いろいろ思い出しています。一番個人的な経験としては、念願だったアメリカに行った事。キリ短卒なので、アメリカに渡った人は数多くいました。私の場合は、親切なアメリカ人の家庭でホームステイをしながら、アメリカ大陸横断をバスでカナダまで見てきたり、半年の間アラバマのジュニアカレッジに通ったりしました。一冊の本になるぐらいのいろいろなことを見聞きしてきたので、つれずれなるままにひとつひとつのエピソードをブログに載せてみたいとおもいます。感受性の強い若い時期に経験したことは年を取っても忘れないものですね。そのひとつが海洋博覧会でのイラン人です。イラン館で働いていましたので、あちらの文化芸術に触れられよかったのですが、その翌年アメリカの首都ワシントンDCに行った時、アメリカ政府にイランの弾圧の現状を訴えるポスターを見せられ非常にショックをうけました。そのあとイラン革命が起こってるのですが、現在と違って外国の実情が伝わりにくい時代でした。また、日本のように平和な国にいると外国の大変な状況がピンとこない時代だったのです。沖縄で共に半年ほどですが、働いたイラン人は大丈夫かとかいろいろ気になったりしたものです。アメリカにいるときは外国の革命や戦争とかがリアルに感じました。(大学では亡命者も多かったので)日本はなんだかんだといってもやはり平和でいいところだと思います。今はグローバル化しているので、外国のこともよそごとではなくなっていますね。いいことだとおもいますよ。



Posted by 晶ofスー at 23:24│Comments(0)